「空氣読もう」とか「常識でしょ」の向こう側
こんにちは。
カードを使って高次元の存在からのメッセージをお届けする、カードチャネラーの馨央里です。
「自分の常識は誰かの非常識」とか「自分の当たり前は誰かにとっては当たり前じゃない」というようなこと、聞いたことはありませんか?
人間社会で生きていく上ではルールが必要だとは思いますが、法律として定められているもの以外の、不文律みたいなところって、人それぞれの考えが重視されますよね。
そんなときに、自分ならこんなことはしない。。。と感じるような、自分にとって「ありえない」と感じることを人がしているとしたら。。。
あなたは「非常識」だとその人を罵るでしょうか。非難するでしょうか。更には周りの人に、自分が正しいということに同意してもらうべく、共感を得ようとするでしょうか。
こういった感情や行動を、なぜ抱くのかしたくなるのか。。。
自分の身に起こったことや、目撃することに「自分がどう反応するか」は、自分以外の外部のせいではなく、自分の問題です。
なぜなら、同じことを目にしても、それに対するリアクションは人それぞれですから。
で、自分はその何かに対して「ありえない」と感じたとしたら、その何かをした人が悪いと即断するより、まずなぜ自分は「ありえない」と感じたのかを探ってみましょう。
だってそれが常識でしょう?とか、空氣読めていないよね。。。という答えは、自分の心の中というよりも、
自分が思っていることを常識とか空氣というものでオブラートに包んでいる状態です。本音はそこにありません。
さらに自問してみてください、なぜそれが常識と思ったのか、なぜ空氣読めていないと感じたのか。。。
「自分が本当はこんな風なことをやってみたかったのに、我慢している」というような、奥底の「自分」がそこにいるかもしれませんよ?
「自分はそんなマナーのない振る舞いはしません」と言い切りたいところかもしれませんが、全く同じ、そのままの行動でなくても、
「周りの目を氣にせずにやりたい何か」をおさえつけている自分に、氣づくかもしれません。
何の制限もなかったら、本当はやってみたかったことってあるでしょうか。
子どもの頃、大人になったらこんなことがしてみたいと願いつつ、夢を夢のまま諦めていることはありませんか?
人生は1度きり、「とりあえずやっときゃ良かった」と人生を締めくくるより、「いろいろチャレンジできた!失敗も多かったけれど、やれたことに意義がある!」と満足するか。。。それもまたあなた次第です。
あなたは何か、自分にガマンを強いていることや、諦めていることは、ないですか?
今日も読んでくれて、ありがとう。
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